-活動終了-

2年間の活動が終了しました。

なんか悲しいというか、空しいというか、悔しいというか。
結局は何もできなかったのかって。自分は小さいなって。
来る前はマダガスカルを“マツダスカル”にします、なんて言っておいて、
全然できてないからね。任地のチルヌマンディディを“サトルマンディディ”にすることさえ。

もういいか、くだらないダジャレは。失礼ですよ?

ボランティアとしてマダガスカルのチルヌマンディディで活動できたことは、
自分にとってとても良い経験になった。とても充実した2年間だと思う。
自分の好きなように、好きな授業をさせてもらえたことが大きかった。
教員免許も持っていない俺が学校で授業をするなんて日本じゃ考えられないことなのに、
それでも俺を「先生」と呼んでくれる生徒がここにはいた。
異国の青少年に教師経験もない自分が”何か”を教えることは時に難しくもあったが、
相手の新しいことをするときの興味深々の目や、一生懸命挑戦している姿は活動への意欲をくれた。
俺にとっては”子供たち”がすべてだった。

何回かブログには書いてるんだけど、情操教育(青少年活動)っていうのは、
結果を数字で表すこともできない、目に見えにくいモノだから自己評価もしにくいし、
達成感を感じるのは難しいと思う。
だけど、その一瞬一瞬に子供たちの笑顔や喜んでる姿を見たり、好奇心をくすぐらせたり、
面白くて楽しいと思わせたり、そういうことができてるという確信はあった。
そういった直に見える反応が唯一であり、最大の喜びであり、
“ここ”に来て良かったと、“自分”が来た意味はあったんだと思えた。
思いっきり自己満足なんだけど、誇りに思っていいんじゃないかなって。

小さい頃のそういう“楽しい”と感じる体験活動は大人になっても覚えているし、
素晴らしい大人にさせるんです。

そう、わたくしのように。何か?

そういう体験活動は子供たちの個性や「生きる力」「人間性を形成する要素」を身に付けさせるらしいです。
とっさの判断力、決断力、仲間との協調性、相互理解、自発性、創造性など。
机の上の勉強も大事だけど、それだけじゃ身に付かないことも大事なんです。
まぁ、俺は勉強が好きじゃなかったから、それ以外のことに時間を費やしたっていうか、
ただ楽しいことをするのが好きなだけなだけで、つまらないことはしない主義っていうか、
自分勝手なんです。いい加減なんです。自由人なんです。

それでもほら、見てください。立派な大人になりました。えっと、何か?

頭は悪いですが、面白い(変わってる?)人間だと自分では思います。そして、自分もそういう人が好きです。
頭が固くて、柔軟な考え方ができない人、ハシャいだりバカしたりできない人とは合わないんです。
だから皆さんは心配しないで安心してください。大好きですから。

そう、「バカそうなヤツは大体友達」です。まだ何か?

何が言いたいのかわからない日記になってますが、もう少し辛抱してください♪
要するに、“ここ”に来れて良かったなってことです。
たとえ何か目に見えるモノを残すことができなかったとしても、
子供たちや配属先の人たちの記憶に、“心”に残れば。
あくまで願望ですがほんの少しだけでも記憶の片隅に、

「あんなことあったなぁ」とか
「面白い授業だったなぁ」とか
「良い先生だったなぁ」とか
「あんな先生になりたいなぁ」とか
「あの先生のこと好きだったなぁ」とか
「変な日本人の先生いたなぁ」とか
「カッコ良かったなぁ」とか
「天才だったなぁ」とか
「最高だったなぁ」とか
「なんだかなぁ」とか
「体験してはじめて身に付くんだなぁ」とか
「まける人のおかげで勝てるんだよなぁ」とか。

違うかぁー。

でもそうやっていつか想い出してくれたりしたら何も言うことはないです。
はい、ただの自己満足です。
逆にこっちが色々な良い経験をさせてもらって、感謝の気持ちとたくさんの想い出でいっぱいです。
その経験をこれからも活かせられたらいいなと思ってます。っていうか活かします。
それじゃないと、行った意味がないとまでは言わないけど、やっぱりもったいない。
“良い経験”で終わっちゃう。まだどんな形で、何をするか、はわからないけど。

ここへ来て”子供”というのはどこの国にいても同じように笑い、同じように泣き、同じように純粋なんだと感じた。
これからもそんな子供たちと関わっていきたいと思った。そして夢も広がった。

ここへ来た理由が「子供が好き」「自分の特技をフルにすべて活かせる」
「それが途上国の人たちのためになればこんなに素晴らしいことはない」という考えからでした。
そして、それが(経験)できたことはとてつもなく楽しく、俺の血となり、肉となりました。
いや、楽しかったっす!!本当に。おれ自身が誰よりも楽しませてもらった。
それはやっぱり”人”に恵まれていたからだと思う。
生徒、先生、同僚、仲間、大家さん、その他の関わったすべての人たち、みんな優しく、助けてくれた。
感謝してます。心からありがとう。

「Misaotra betsaka!!」

たくさんの、本当にたくさんのプレゼントももらい、食事もご馳走になりました。
そして最後の日は、配属先の人の呼びかけでたくさんの生徒たちが見送りに来てくれました。
やばかったです。ちゃんと伝わってたんだと思って。ウルウル来た。
”感無量”って、あんな時使うんだな。

やべ、また悲しくなってきた。
そういうわけで、今日は終わります。

松田 智